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2010年6月 7日 (月)

祈りと家族

朝、神想観を行い天地一切のものからパワーを受け一日を始め、

夜、読経の後に神想観を行い全てのものに感謝して一日を終える。

自然な営みの中で、体調もすこぶる良く、精神も安定している。

今朝、祈りの中で家族の特に離れて暮らしている娘の事を祈った。

彼女は最近仕事が多忙で、悩みも抱えており時折電話も来る。

家を離れて5年目。家内も言うように一度家へ戻った方が良いのかもしれない。

本人も戻りたがっているが、仕事が忙しくて辞められないのである。

家族とは。

自分にとって一番かけがえの無いもの。

聖経の中に「一個の物体の周りに百万の鏡をおきて、それに相対せしむれば・・云々」

とあるが、「正しく、我に対する暖かい喜びの、一番身近な鏡こそ家族なのだ。」

この聖経に書かれているところの鏡の表現。

家族が私の周りで、合掌して私を拝んでくださっている。

そんなイメージが祈りの中で自然と湧きあがって来たのである。

自他一体。

家族こそ、本当にこの言葉が実感として味わえる存在なのである。

もっともっと家族を大切にしなければならない。

今朝の祈りの中で、自然に湧き出でた想いなのであった。

合掌。

2010年5月28日 (金)

初めての夜勤

5月から勤務しているグループホームで初めての夜勤をした。

職員の間では夜、お化けが出るとか、夜中にひとりでにトイレの電気が点いたり水が流れるとの話が。

実際、その日も夜中に電気が点き、水が流れたらしい。そんな話で朝から盛り上がっていた。

そりゃ、人の数ほど霊も居るだろうし、生きている人間の方が怖い時代。

あまり気にしない事にする。

以前の職場でも夜一人で仕事をする事が多かったが、1階に居ると誰も居ない2階で人の歩く音がしたりした。

でも、怖い嫌な感じは無かった。

でも、夜勤でいきなり出られるのも何なので、聖経をポケットに入れ仕事をする事にした。

その日は朝から肩が石のように硬く、首もロクロク回せないくらいであった。

職員が「肩にしょってるんじゃ無いですか?」と冗談交じりに言う。

僕はまんざら冗談とも思えない。

以前、宇治に居た頃、後輩の女子大生が訪ねてきて、「○○さん自殺したんです。供養してあげて下さい。」と言われた。

それから供養祭までの数日間は、肩にずっしり重みがかかっていた。

供養祭で嘘のように軽くなったのであるが・・・

今回は、夜勤最初であったので、ユニットリーダーの女性職員と2人でした。

仕事の話など明るくしながら、あっという間に朝が来た。

嫌な雰囲気は無く、平和な夜勤であり、トイレの異変も無かった。

不思議な事に、夜勤が明けて気がつくと肩の凝りが無くなっていた。

さまよえる諸霊がもし居たとしたら、出来れば浄土へ上ってもらいたいと願って聖経をポケットに入れていたのであるが、想いが通じたのかも知れない。

家に帰り、諸事を済ませて仮眠する。

夜はいつもどおりの行事。

甘露の法雨を読む。

一夜明けて今朝はすがすがしい体調であった。

肩こりは微塵も無く、気分もすっきり素晴らしい。

できることなら、あんまりおんぶしたくは無いですが、自分の想いがそうさせたのかもと反省しています。

神によって天地一切のものは祝福されているのであり、私はただ観て喜べばいいのであった。

わたしの少しの努力も要らないのであった。

それを「少しでも役に立ちたい。」とか「縁あって私が来たのだから浄土へ行ってもらいたい。」などと少しでも思ってしまったのは事実である。

全ての人物事は祝福されている。諸霊も同じく。

私が入る余地は無いのであり、入ってはならないのである。

今回は肩凝り位で済んだのであるが、反省しきりである。

ありがとうございます。

2010年5月16日 (日)

日々新たなる生活

新職場で働き出して実働8日間が過ぎた。

今日明日は初めての連休となる。

朝、起床後布団を畳み、洗顔して仏壇に参りそのまま神想観をする。

その後、金魚のポンプの電源を入れ、餌をあげる。

手乗り文鳥の世話をし2階に上がる。

神棚の水を替え、榊の水替えをし榊を洗う。

そして神棚に参る。

朝食を摂り、小休息の後出勤。

これが毎日の朝の行事であり、ずーっと続いている。

通勤距離は30キロ丁度。

通勤時間は約35分と長くなったが、信号は15箇所ほどしかなく、

海岸線の15キロは天気の良い日は快適なドライブコースである。

何よりも榎本恵吾先生の「常楽への道」輪読会のMDを行きも帰りも聞きながら運転できる事は至福のひと時である。

「今」、まさに25年前まで奉職していた宇治別格本山での職員生活のような姿勢と、職場環境がある。

これで良い。

今、本当にそう言える職場環境であり、歩んで行く速さと同じ福祉の仕事がある。

帰りに見た夕日は私を祝福しているようであった。

Yuuhi

2010年5月 9日 (日)

生命力の充実

先に朝と寝る前に祈る事は書いた。

ここ一ヶ月半近くはもうそれ無しでは変な感じである。

精神的なパンを朝夕摂る事によって、生命力が生き生きと発現してゆくようだ。

一昨年暮れに胆石発作があり、胆嚢摘出手術をした。

術後は腹巻と、ズボン下、5本指靴下と靴下の2枚重ねが不可欠だった。

しかもそれはつい最近まで続いていたのである。

眠る時も5本指靴下は履いたままでしか眠れなかった。

寒くて寒くて凍えていたのである。

加えて、昨年7月末の血液検査で異常値が見つかり、精密検査の結果胆嚢手術の時に、小さな胆管を間違って塞いでいた事が分かった。

特に問題なく大丈夫と言う話だが、お酒を飲みすぎているような数値はあまり気持ちの良いものではない。

それがどうだろう。

気がつけば、腹巻もズボン下も要らず、靴下も5本指一枚だけである。

今日は休みだったが、日中肌寒いくらいだったが、ずっと裸足でいる。

エネルギーが満ちている。

職場でも「笑顔が素敵ですね。」と複数の女性職員に言われた。

生命満ち溢れているありがたい。

無限の智慧・愛・生命・供給・喜び・調和が「今」ここにある。

どんどん若返っている。

本来の生命そのままの姿に戻っているだけなのである。

祈りは素晴らしい。命湧きいずる世界である。

新職場での業務スタート!

新しい職場での業務が始まった。

認知症グループホームだ。

その名の通り、生活の場である。

私たちが介護するのではなく、生活の場を支えるのである。

同じリズムでゆったりとした時を過ごして頂く。

今日は3日目。ユニット1の勤務だ。
朝、今日予定のリネン交換をし、洗濯機を回す。
プチ朝礼の後、ユニット2の夜勤スタッフが淹れてくれたコーヒーを飲む。
夜勤明けなのに、わざわざ聞きに来てくれて、
コーヒーを淹れてくれた女性スタッフに感謝する。
グループホームは入居さんの暮らしの場であるが、スタッフも憩いの場でもある。
当然、仕事はテキパキとこなすが、バタバタはいけない。
認知症の方は不穏になってしまうのだ。
洗濯物を干し、ひと段落したのを見計らって、半数位の方とホーム周りを散歩する。
近くの森や林で鶯が盛んに鳴いている。
ボタン桜や花桃が真っ盛りである。
ホーム裏の職員駐車場周辺には、山菜が多く自生している。
玄関前の駐車場周囲のツツジも満開である。
記念撮影をする。
昼食は入居者・職員一緒に同じものを食べる。
今日のメニューは
・鶏ご飯、わかめスープ、牛肉コロッケ、インゲンと人参の味噌きんぴら、もやしの生
姜和えだっ。
家庭的な味付けで美味しい。入居者さんの準備や後片付けを手伝う。
午後1時半前に両ユニットの半数の入居者9名と職員3名で外出。
地元では有名な「雁田神社」の祭礼に呼ばれていたのだ。
そこが、地域密着型サービスの良い所である。
ホームから山を登り、細い自動車1台がやっと通れる急な山道を行く
小さな神社だ。駐車場は6台ほどの自動車で満杯である。
写真撮影をし、介助しながら神社の階段を登り拝殿に上がった。
祭壇も含めて20畳程の古い小さな神社に神官4人が来て、祭礼は始まった。
それまで鶯と蛙の鳴き声が響いていた山の上の静かな神社に
いきなり神官の打つ太鼓の音が響いた。
「どぉーん、どぉーん、どぉーん、どん、どん、どん、どっ、どっ、どっ、どおーん!」
僕もびっくりしたが、前に座る入居者の体がビクッ!と動いた。
(たのむよ~倒れんといて!)
祝詞が始まり、入居者9名は神妙にお参りしていた。
途中、「足がしびれた~」と小声でささやいていた・・・
30分ほどで神事が終わり、退去する事にした。
1人1人に「柏餅」2個が入ったパックを頂いた。
(お酒一升供えたけれど、こんなに貰って良いのかな?僕らも貰った!)
帰りの車中で僕が聞いた。
「ご利益ありそうだね~!ところでなんの神様?」
入居者「子宝だよ!」
「えつ?子宝・・・」
入居者「ハッハッハッ!」
「今更・・・って言うか、子供授かってもねぇ~」
入居者「すぐに子供に養ってもらわんといかんわい」
(無言の笑い)
後で聞いたが、正しく入居者さんの言った事に間違いは無かった。
よりによって、何で子宝神社だよ~って思った。
行かなかった人にも公平に柏餅を分け、おやつとお茶の時間。
唯一男性で参加した方は
「あーあ、ご利益半分になっちゃった!」と笑っていたが・・・
4時過ぎに入居者と駐車場脇の畑に種を蒔きに行く。
結構広い。
認知症で普段何もしない男性が、嬉々として水を汲み、小さな用水を飛んで渡ろうと
する。
この方は、農業をずーっとされていたのだ。
飛んだのは良いが、足元がよたって、畑のなかにふんわり倒れる。
本人も満足気であり、見ていた他の入居者・職員も微笑む。
遠くで鶯がさえずる、暖かい日差しの溢れる夕方だった。
ホームに戻る途中、「この仕事で良かった。」と思った。
この3日間、昼の休憩は無かった。
3人が交代でとるのだが、外出があると取れない職員が出てくる。
私は取れなければ取れないで良いと思う。
殆ど残業はしないで帰るのだし。
職員も特に不満は無いようだし、早番上がりの職員も畑仕事をボランティアで率先し
てやっていた。
本来ホームは家であり、家族である。
業務上は休憩を取らなくてはいけないが、精神バランスの良い仕事ができれば
入居者と共に飲むコーヒーのひと時とかで十分なのである。
家なのだから、入居者が自室に篭らないように働きかけるのなら、
職員も「休憩室」篭らないようにするべきなのではないのかな?
まあ、基本的にはそんな堅苦しい事は考えないで自由にやれば良い。
たまには入居者も昼間でも自室に篭って好きなテレビも見たいだろうし、
職員だって酒を飲みすぎた翌日は短い昼寝だってしたいのだ。(僕だけ?)
職員同士でもよもやま話をしたいしね~。
ゆっくり、ゆっくり生きていける。
頭の中はフル回転していても、ゆったりとしたペースで仕事が出来る。
たった3日間だけれど、ホームも人も僕に合っていると感じた。

2010年4月25日 (日)

振り返ってみれば・・・

今回の退職、再就職騒動もひと段落し、次のステップへと移行して行く・・・

振り返り見れば、今回の騒動の原因は私が「神」から離れた事にあったのだと反省します。

昨年12月に前職場の退職を決め、今年の1月に3月まで勤めていた地元の個人企業へ就職したのでした。

その会社の面接の時、「大きな会社を辞めて、どうしてうちの様な会社へ来るの?」と聞かれました。

「建物も綺麗で、作りも良く、何より利用している人の評判が良い。利益重視でなく、利用者に還元している。しっかり原点に返って勉強したい。」と答えたのでした。

そこは私が勤めるデイの他に、昨年11月に地元のあまり評判の良くないショートステイの経営権を買い取り、建て直しをしている最中でした。

社長の理想は高いものの、現場はほぼデイ発足当初から苦楽を共にしてきた5名程の幹部職員に任せていましたから、社長との考えにギャップもあったのも確かでした。

デイだけしていれば何の問題もなく、利用者も満杯状態で評判も良いままに移行していたでしょう。

ショートを買収した為に、優秀な職員を3名程デイからショートへ移動させ、空いた穴に私が入ったのでした。

3名の穴を私一人では埋めれませんし、スタンスも違います。

また、法令について熟知している人間が殆ど無く、私は法令順守をさせる為に事あるごとに上司に訴えていましたが、その上司も社長に引っ張られて途中入社した為、課長職でありながら5名程の幹部職員には相当気を遣っているようで、自分が言うのが嫌で私に法令順守の件を任せていました。

そんなこんなも要因になったのかもしれません。私はただ強い会社にしたいと思い、適正化を図っていただけなのですが・・・

話は戻りますが、本来この会社に入社すべきではなかったのだと思いました。

大手を辞めた理由に、自分の考えと会社の考えの間にかなりの乖離が出た事を挙げましたが、最大の理由はその時の上司2名があまりにもひどい仕打ちをした事が本当の理由でした。

それまでの上司は、「こんなにまとまっていて、退職者も出ず、かえって職員が良い職員を引っ張ってくる。また、有資格者も多く、全社的にもこの2点では本社でも話題に上るほどである。職員に聞いても、「所長はとても良い人です。定年まで居てもらいたい。」と驚く答えが返ってくる。是非、小林さんは定年まで居て下さい。」と言われていました。

所長を指導する役職もくれたのも前の上司でした。

しかし、昨年4月に遠方から来た人相の悪い上司は「長いね~全社的に言っても長すぎ。転勤してもらう。数字もぱっとしないし、周囲の事業所は上がってるのに駄目だね。」と役職も取られ、小さな駄目事業所への転勤を命じたのでした。

私を引き上げてくれた3月までの上司には「周辺の事業所の数字が上がる事が、小林さんの評価になります。」と言われていました。

半径50キロ圏内を駆け回って、自信を無くし掛けていた所長達を褒めたりしかったりしてやっと上向いて来たのです。

私の事業所も数字は伸び悩んでいましたが、ナンバー2に引き上げた職員が妊娠し、つわりがひどく思うように動けず、人件費がかさんだ結果でもありました。

ただ、周辺の事業所が前年度売り上げを割っている中で、自分の事業所はずっと前年度比5~10%プラスだったのです。良い職員が良い仕事をする。と常に思い続け、安定した人材確保こそ、安定した運営の近道であると思い実践してきた結果でした。

転勤を命ぜられた時は、丁度ナンバー2が絶不調で「所長、これ以上迷惑かけられません。降格して下さい。」と言われていたのでした。数ヶ月前から言われていましたが、「生活もあるし、一旦引き上げたのだから、有給使わせてでもしばらくそのままでいよう。何よりも、彼氏との結婚もしっかり決まっていない中、万一シングルマザーにでもなることがあれば生活費はいくらあっても足りないだろう。」と話していたのでした。

ほどなく結婚も決まり、役職を解いて私が兼務する事に。当然人件費は下がり、数字はあがりました。そんな事は私は判り切っていた事でした。上司はその時の数字だけを見て話をしていたのでした。それも汚い乱暴な言葉で私を汚したのでした。

私は怒り、再就職先を探し、退職届を出しました。

上司の上司である本部長は今までの功績に対しお礼と、部下の非礼を詫びたいと言ってくれました。

練成の浄心行にも参加し「感謝する事ができました。」と皆に言い、本部長にも「背中を押してくださった事に感謝します。」と伝えました。

でも、でも「私がこんなにして来たのに、許せん!」という「私が」が死んでいなかったのです。

甘んじて、血の涙を流してでも祈り続けて転勤すべきであったと。それが神の定めた道ではなかったのかと思いました。

うぬぼれていたのでした。自分が良き事業所を作ったのだと。職員から「所長のお陰。感謝してます。」と言われ天狗になっていたのです。45名全員が言ってくれた訳ではないのに、その気になっていたのです。

本当に全てに行き届いていたのか?本当に職員を心から尊敬し、感謝し、愛していたのか?常に神を生きていたのか?

答えはノーでした。

今回、1ヶ月祈り、「神の道に乗らず自分勝手に途中下車してしまったのだ。」と反省しました。だからこそ、放り出されたのだと。

しかし神は愛し導き給う。カーナビの「リルート」のように道を再検索して下さる。

祈り、生き、祈る。

今回の就職が決まった時、学生時代に最初に就職試験をくぐり抜け採用された時と勝るとも劣らない喜びがあった。

祈れ祈れ、そして生きよ。自他共に常に喜べる人生を。

「お前には全て与えた。信じて愛して喜んで生きるのだよ。」

神の声が聞こえる。

2010年4月24日 (土)

神のはからい

本日、就職内定の知らせがありました。

面接も好感触であり、かなりの確率で採用されるであろうと期待はしていましたが、何があるか判らない。神に任せてある。と思っておりました。

3社目の面接。

過去の2回も好感触であったが、2度とも緊急に人が必要でない状態であった。なんで「とりあえず出しでおこうか」的に無責任に気楽に求人するのか呆れた。

面接後から「たぶん駄目かもな~」と察していた。

今回は先方も必要に迫られているようだし、2次面接までし、すごく気に入ってもらえた。

振り返れば、今回の理不尽な離職は「背中を押して出して頂いた」のでありました。

前職場は今も、混乱の最中にあるようだし、給料も十分でないようだ。

内定した職場は、環境も良く、給料も上がる。

感謝して、内観して、自他共に常に喜べる仕事をしてゆこうと思う。

神に任せてある。

そう言い続け、祈り聖経をあげていた毎日だったが、薄い幕がさーっと晴れたような嬉しい知らせだった。

「果報は寝て待て」でなく、「果報は祈って待て」だが、

神を信じて待っていたが、やはり結果が出ると本当に嬉しいものである。

「やったーっ」と叫びたい今日の知らせだった。

2010年4月21日 (水)

感謝するということ

感謝するということ。

誰でも自分に都合の良い事、優しい事をして下さった人には感謝できる。

なんでもない人には特段感謝しない。

意地悪や、不都合な事をする人には腹が立つ。憎み怒る。

宗教的には自分の敵も愛せよと言う事である。

感謝とは現象否定であるという。

唯神実相ということである。

現象は無い!と一刀両断できればそれで良いのだろう。

あるいは、神のみぞ在る。と観じて光明一元の世界を観ずれば腹も立たなくなるだろう。

神想観をしていると不思議と腹も立たなくなる。

穏やかな想いが広がってくる。

今日、こんな事を思った。

キリストは自分を裏切ったユダの行動も、

夜明けまでに自分の事を3度も知らないと言った高弟ペテロの言動も、

全て役割として知っていたのである。

自分が神と離れている時、

自分が神のシナリオから脱線している時、

周囲の人が観世音菩薩となって、

時に意地悪い行動をし、

時に思いもかけない表情をして、

自分が本来あるべき道に帰してくださっているのではないかと。

本当はその人たちも優しい笑顔で居たいのだ。

本当は皆に愛語讃嘆したいのだと。

私を愛する神からのシナリオの役割分担として、

本来したくも無い、和顔愛語讃嘆から外れた言動をして下さったのだと。

私は赦すのではなく、赦される側であったのだ。

そんな役割をさせてしまって、誠に申し訳のない事だったのである。

現象無し、光明一元と観ずるのも良い。

また、今日のよう懐かしさを込めて、「ありがたい」と観ずるのもまた良し。

今日はそんな風におもった。心が嬉しくなりました。

ありがとうございます。

2010年4月17日 (土)

所属が無い状態とは

現在、無職・求職中である。

所属の無い状態というのはとても不安定で、人を不安にする。

介護等の世界では基本である「マズローの法則」でも社会生活の基礎部分で所属の欲求がある。(下記参照)

  1. 生理的欲求(physiological need)
  2. 安全の欲求(safety need)
  3. 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
  4. 承認の欲求(esteem)
  5. 自己実現の欲求(self actualization)

憲法でも定められているように、働かなくてはならない。

年初まで管理職として勤務していた会社に留まっていれば、家内も特段働かなくても生活には困らなかった。

会社の考え方と、自分の求めるものが大きく乖離して苦痛となり、軽いウツ症状と極度のストレス状態となり、転職をしたのであった。

家族も賛成してくれ、家内もパートに出る事になった。

共に良い職場に就職でき、明るく働いていた。

暫くして、家内は職場でいじめられるようになる。

昨日教わった事をすると、今日は全く反対の事を言われて怒られる。

他の職員が怒られない事でも、家内は怒られる。

家内は元来大人しく、優しい性格なので反論できない。職場に向かう時震えが来るまでになってしまった。

「辞めてもいいよ」と話し、職場でやっとの思い出切り出すが、次ぎ決まっていないのならと慰留されてしまった。

そんな矢先、私が「素浪人」にも書いたとおり、青天の霹靂の退職となってしまった。

100人もの利用者をほぼ二週間で覚え、請求業務も事務員もいない中、誰にも頼れず一人でこなしてきたのにである。

好き嫌いの大幅人事があり私の上司が施設長になった事からそうなったのではとの皆の憶測である。

社長は「採用して申し訳なかった。2,3年入社してもらうのが早かった。また、事業を考えているのでいつかまた一緒に仕事をやるような気もする。」と言っていたが、会社の舵取りも十分に行えない経営者の口先の慰めである。

3月末から、面接とハローワークに定期的に通っている以外は、暇である。

やたら本を読み、時に短い昼寝をしている。

何よりも今までの生活と変わったのは、読経と祈りである。

朝は起きてから20分ほど祈る。(仏壇の前で)

神棚の水を替え(米・塩は月2回)榊の水を替え榊を洗う。

参拝。

夜は先ず浄土真宗の正信偈(しょうしんげ)等を読む。

続いて般若心経を3回読む。

そして聖経を日替わりで読む。

それから心行くまで祈る。

今までも仏壇には朝夕お参りしていたが、それとは又違う質になってきた。

何を信じて生きてゆくか。

会社や人には裏切られてきた。

神以外無い。もう一度ここで徹底して禊をする時なのだと思う。

もし神に見捨てられるのなら、このまま朽ち果てる他ない。

しかし神は全てを与え給うのである。

ただ信じて、感謝して、喜んで、生きて待っていれば良いのである。

家内も意を決して退職を届けた。今月末である。

もう一人いじめられて来た中国人の奥さんも家内の事は心配して「負けちゃ駄目よ」と休みの日に心配して電話をかけてきたり、一緒に食事に誘ったりしてくれていた。

他にももう一人家内を食事に誘って下さる方もいた。皆家内がひどい仕打ちを受けている事はわかっているのである。

今朝も家内は朝早くに出て行った。私が祈っている最中であった。

私はそのまま「行ってらっしゃい」と言った。

その後、子供を学校まで送り届け、一人で食事をした後、家内が可哀想で涙が出てきた。

きっと、必ず家内の笑顔が戻る生活に戻れる。

もうすぐそこに、神様は私の活躍の場を用意して下さっている。

そう信じている。

時々、不安な感情がよぎる事があるが、すっと受け流す。

「恐怖しながら、そのまま恐怖本来無きなり。」の聖経の一節の如く、

「不安あるがままに、そのまま不安本来無し。」である。

家族にも言われるが、明るい顔をしている。

神を信じている。只管信じている。

こんな気持ちにして下さった、天地一切の人に物に事に感謝します。

全ては私の更なる活躍のために必要であったのです。

今、私は無職でどこにも所属していませんが

神様に直接所属しております。

これから配属を神様が決めて下さるまでは、ぴったり神様直属の息子として安らかに時を待つ事に致します。

ありがとうございます。

2010年4月15日 (木)

信仰のはじまり

いつ始まったのかは定かではない。

ただ、物心ついたころから「宇宙の果てはどうなっているのだろう。」とか真剣に考え、

家族の事も「この人たちは何故僕にこんなにも優しくしてくれているのだろう」と考えていた。

10才で祖母が亡くなるまでは祖母の部屋に出入りする事が多かった。

祖母は熱心な弘法様の信者で、「お山の先生」の弟子の様な存在だった。

般若心経を先生たちとあげに行くと、亡者が成仏し水難事故が無くなったという話も聞いた。

82歳で亡くなるまで、着物を綺麗に着こなし、背筋をスッと伸ばして早足で歩く姿は凛としていた。

祖母がお山に出かけて持って帰ってくる混ぜご飯は僕の楽しみの一つだった。

3,4年生の頃、お山のバスツアーでどこかの自然の滝に打たれた事がある。

ごくごく自然にふんどしになって滝に入ったものだ。

亡くなる数日前の事はよく覚えている。

いつもはお小遣いは5円か10円だったのが、「これやる。」と言われて小銭が一杯入ったビニール袋をくれた。

僕にとっては途方も無い大金だった。

しかし、その夜か次の夜祖母は倒れ、そのまま2,3日で亡くなった。

僕は葬儀で多くの人が来る家のソファーの上で「お経をもっとあげていれば、お婆ちゃんが死なずに済んだのではないか」とグズグズべそをかいていた。

私が小学校1年の頃から家族で浄土真宗の「正信偈(しょうしんげ) 」を家族であげるのが日課になっており、私もじきに暗唱するようになっていたのだ。

ただ、お婆ちゃんは参加していなかった気がする。仏壇の横に父が作った小さな仏壇に弘法様をお祭りしていた。般若心経をあげるのが日課だった。

祖母・父母・兄全て亡くなった今では、正信偈と般若心経をあげる時、皆と一緒に居る懐かしさが混み上げて来る。

静かに仏壇の前に座して経を読む。

私にとって心休まる至福のひと時でもある。

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