今回の退職、再就職騒動もひと段落し、次のステップへと移行して行く・・・
振り返り見れば、今回の騒動の原因は私が「神」から離れた事にあったのだと反省します。
昨年12月に前職場の退職を決め、今年の1月に3月まで勤めていた地元の個人企業へ就職したのでした。
その会社の面接の時、「大きな会社を辞めて、どうしてうちの様な会社へ来るの?」と聞かれました。
「建物も綺麗で、作りも良く、何より利用している人の評判が良い。利益重視でなく、利用者に還元している。しっかり原点に返って勉強したい。」と答えたのでした。
そこは私が勤めるデイの他に、昨年11月に地元のあまり評判の良くないショートステイの経営権を買い取り、建て直しをしている最中でした。
社長の理想は高いものの、現場はほぼデイ発足当初から苦楽を共にしてきた5名程の幹部職員に任せていましたから、社長との考えにギャップもあったのも確かでした。
デイだけしていれば何の問題もなく、利用者も満杯状態で評判も良いままに移行していたでしょう。
ショートを買収した為に、優秀な職員を3名程デイからショートへ移動させ、空いた穴に私が入ったのでした。
3名の穴を私一人では埋めれませんし、スタンスも違います。
また、法令について熟知している人間が殆ど無く、私は法令順守をさせる為に事あるごとに上司に訴えていましたが、その上司も社長に引っ張られて途中入社した為、課長職でありながら5名程の幹部職員には相当気を遣っているようで、自分が言うのが嫌で私に法令順守の件を任せていました。
そんなこんなも要因になったのかもしれません。私はただ強い会社にしたいと思い、適正化を図っていただけなのですが・・・
話は戻りますが、本来この会社に入社すべきではなかったのだと思いました。
大手を辞めた理由に、自分の考えと会社の考えの間にかなりの乖離が出た事を挙げましたが、最大の理由はその時の上司2名があまりにもひどい仕打ちをした事が本当の理由でした。
それまでの上司は、「こんなにまとまっていて、退職者も出ず、かえって職員が良い職員を引っ張ってくる。また、有資格者も多く、全社的にもこの2点では本社でも話題に上るほどである。職員に聞いても、「所長はとても良い人です。定年まで居てもらいたい。」と驚く答えが返ってくる。是非、小林さんは定年まで居て下さい。」と言われていました。
所長を指導する役職もくれたのも前の上司でした。
しかし、昨年4月に遠方から来た人相の悪い上司は「長いね~全社的に言っても長すぎ。転勤してもらう。数字もぱっとしないし、周囲の事業所は上がってるのに駄目だね。」と役職も取られ、小さな駄目事業所への転勤を命じたのでした。
私を引き上げてくれた3月までの上司には「周辺の事業所の数字が上がる事が、小林さんの評価になります。」と言われていました。
半径50キロ圏内を駆け回って、自信を無くし掛けていた所長達を褒めたりしかったりしてやっと上向いて来たのです。
私の事業所も数字は伸び悩んでいましたが、ナンバー2に引き上げた職員が妊娠し、つわりがひどく思うように動けず、人件費がかさんだ結果でもありました。
ただ、周辺の事業所が前年度売り上げを割っている中で、自分の事業所はずっと前年度比5~10%プラスだったのです。良い職員が良い仕事をする。と常に思い続け、安定した人材確保こそ、安定した運営の近道であると思い実践してきた結果でした。
転勤を命ぜられた時は、丁度ナンバー2が絶不調で「所長、これ以上迷惑かけられません。降格して下さい。」と言われていたのでした。数ヶ月前から言われていましたが、「生活もあるし、一旦引き上げたのだから、有給使わせてでもしばらくそのままでいよう。何よりも、彼氏との結婚もしっかり決まっていない中、万一シングルマザーにでもなることがあれば生活費はいくらあっても足りないだろう。」と話していたのでした。
ほどなく結婚も決まり、役職を解いて私が兼務する事に。当然人件費は下がり、数字はあがりました。そんな事は私は判り切っていた事でした。上司はその時の数字だけを見て話をしていたのでした。それも汚い乱暴な言葉で私を汚したのでした。
私は怒り、再就職先を探し、退職届を出しました。
上司の上司である本部長は今までの功績に対しお礼と、部下の非礼を詫びたいと言ってくれました。
練成の浄心行にも参加し「感謝する事ができました。」と皆に言い、本部長にも「背中を押してくださった事に感謝します。」と伝えました。
でも、でも「私がこんなにして来たのに、許せん!」という「私が」が死んでいなかったのです。
甘んじて、血の涙を流してでも祈り続けて転勤すべきであったと。それが神の定めた道ではなかったのかと思いました。
うぬぼれていたのでした。自分が良き事業所を作ったのだと。職員から「所長のお陰。感謝してます。」と言われ天狗になっていたのです。45名全員が言ってくれた訳ではないのに、その気になっていたのです。
本当に全てに行き届いていたのか?本当に職員を心から尊敬し、感謝し、愛していたのか?常に神を生きていたのか?
答えはノーでした。
今回、1ヶ月祈り、「神の道に乗らず自分勝手に途中下車してしまったのだ。」と反省しました。だからこそ、放り出されたのだと。
しかし神は愛し導き給う。カーナビの「リルート」のように道を再検索して下さる。
祈り、生き、祈る。
今回の就職が決まった時、学生時代に最初に就職試験をくぐり抜け採用された時と勝るとも劣らない喜びがあった。
祈れ祈れ、そして生きよ。自他共に常に喜べる人生を。
「お前には全て与えた。信じて愛して喜んで生きるのだよ。」
神の声が聞こえる。
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